碧い蜻蛉
平成23年3月 降下量
福島大学大学院共生システム理工学研究科の渡邊明氏は過去から継続して行われてきた酸性雨観測用の雨水採取装置にたまった雨水とろ過用のフィルターに残された放射性物質をゲルマニウム半導体検出器にかけて放射性物質を計測した。
右の写真は三重県科学技術振興センター 保健環境研究部の屋上で使われている酸性雨捕集装置で中にろ紙を入れて大きな粉塵をろ過して下に溜まった雨水のpHを測定するものです。ろ紙と水の放射能を計測することで降下量を求められる。
三重県の例では0.8μmのろ紙を使っていますが、福島大学では5μmという比較的穴の大きなメンブレンフィルターを用いて雨水をろ過しています。
出典:大気汚染学会北海道東北支部総会,V0l19,pp60-61,2012.10,(北海道大学)
福島大学 3月に6000万Bq/m2強の放射能計測
表 3月1日から31日までの福島大学での雨水とろ紙に含まれていた放射性物質量 データ出典:渡邊明氏報告
http://www.sss.fukushima-u.ac.jp/sonde_data/attachments/hysplit_trajectory/0000/0246/____________.pdf
この報告を読んで驚かされるのは、放射性ランタンLa-40というあまりなじみのない核種が、雨水とろ紙との合計で5600万ベクレル/平方mという数値を示していることだ。他の核種と合わせると6000万ベクレル/平方mを越えてしまう。概算すると、1m高さで200μSv/hに相当する放射能汚染を起こしていたとみなせる。
「福島降下量1」で放射性ヨウ素I-131の福島への降下量を約4000万ベクレル/平方mという推定を行ったが、ヨウ素以外の核種もこれほど大量に、しかも県内では原発から離れている福島大学で計測されていたとは・・・・
米国原子力規制委員会の推定ではI-131の放出量と同じ量の放射性バリウムBa-140 が放出されている。La-140はBa-140(半減期12.7日) が崩壊して出来る娘核種であるので、福島事故で放出されたBa-140が崩壊する過程のLa-140が計測されたのであろう。La-140 は半減期2日で消滅するので無くなっていく過程を捉えた計測であるとすれば事故直後のBa-140の降下量の多量さが想像できよう。
同時に放射性ヨウ素 I-131、I-132も197万ベクレル/平方m、51万ベクレル/平方m計測されている。I-132の親核種であるTe-132も220万ベクレル/平方m検出されている。それぞれ半減期は8日と2時間、78時間である。NRCの推定に依れば、I-131の放出量は9.62E+17ベクレル、I-132の放出量とTe-132の放出量はそれぞれ7.40E+17ベクレル、4.07E+17ベクレルであった。オーダー的にほぼ同量放出されたと推定している。
半減期の短いTe-132がI-131よりも多く検出されていることは当初の降下量が地域によりばらついているためであろうか。
福島大学の計測は、事故直後の初期被爆の深刻さを裏付けるものであると同時に、調査をしないという決断を行ったとみられる官僚たちや原子力村関係者の犯罪性を際立たせるものとなるだろう。
La140が主に降ったのか?
http://www.nucleonica.net/wiki/images/7/79/Decay_Ba140.png
Ba140は半減期13日で崩壊してLa140に変わり、La140は半減期2日で崩壊して安定核種に変化する。上図は当初Ba140のみの状態から崩壊によってBa140 とLa140 がどのように増減していくかを求めたグラフである。計測が日々データの累積として表にされているのか、3月一月分をまとめて計測しているのかは不明であるが、当初がBa140 のみであったと考えると計測されたBa140 の量は少なすぎる。原子炉内メカニズムはわからないが、計測されたデータからでは、Ba140の大量の来襲というよりは、La140 の大量来襲と考えた方が良いかもしれない。下図は高崎のCTBTでの計測チャートであるが、○で囲んだようにLa140 が計測されている。