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過去の録音記録  水俣病患者 チッソ株主総会へ

1970年11月28日 大阪年金会館

碧い蜻蛉

  フクシマ・ジェノサイドと呼ばれる全訳)
後世に
公害とは、公の共有物たる天地・海川に毒をまき散らし、万物の命を奪う天下の大罪

1960年代は激しい公害の時代であった。水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく、新潟水俣病、呉のお化けハゼ、洞海湾の汚染、大阪西淀川の大気汚染、白砂青松の美しい海岸を埋め立てて作られたコンビナートは24時間毒を排出し続けていた。海に、川に、そして空気の中にも。大阪伊丹の空港ではジェット機が轟音を立てて離着陸し、できたばかりの新幹線も轟音と振動をたたきつけながら市街地を疾走していた。私企業の利益のために、地域の住民たちの健康をそこないながらの経済成長が続けられていた。廃水や排ガスを処理して、毒物を回収し、浄化された排水や排気を外に出せば問題は起きなかったはずであるが、捨てるもの、利益を生まないものに投資を行わないのが資本主義であり、ほとんど無処理で捨てられていった。

水俣病はチッソが化学反応の触媒として使っていた水銀化合物が有機水銀となって廃液に移り、そのまま海に放出されたために、魚介類を通して多くの人たちが有機水銀中毒となったものである。まず、魚介類をよく食べる漁師の家から病人が現れた。有機水銀は脳細胞を脱落させ、死亡した者たちは麻痺、けいれんなど、阿鼻叫喚のなかで亡くなっていった。妊娠した母親から胎盤を通して胎児に水銀が蓄積され、胎児性水俣病患者が生まれてきた。

石牟礼道子の「苦界浄土」でようやく多くの人たちの前に現れた水俣病は、全国的に高まってきた反公害闘争のなかで、患者自らがチッソの株主総会に乗り込む一株株主運動が提起された。まだ、学生であった私は買ったばかりのテープレコーダーを手に、この株主総会の場に同席した。

会場に向かう前に患者さんや患者家族の人たちのご詠歌が詠われ、亡くなったものたちの思念をふところにチッソ株主総会会場に入った。会場は前列を総会屋が固め、議事進行をはかる総会屋の拍手と患者さんたちに対する怒号のなかで総会自体は強行された。怒りの余り患者さんたちは壇上に駆け上り江頭社長を取り囲んだ。

石牟礼さんの「かえりましょ」という呼びかけを受けて会場を出た患者さんたちは、集会の場で打って変わって穏やかでやさしい口調で私たち支援者に向かって礼を述べられた。

奇病患者という差別の視線の中で、精神的にも経済的にも困窮して生きてこられた人たちがどうしてこんなにやさしいのかと心の底から思った。私の父も軍隊で病にかかり、戦後15年生きたが、長い間国にうち捨てられたままであった。だが、この時、患者さんたちから感じられたやさしさは大事なものとして残っている。

 

  チッソ一株株主総会会場内

水俣病の時代から、産官学総力で患者を切り捨ててきた歴史がある。福島での対応と全く同様であるが、もし違いが有るとしたら、放射能障害がなかなか眼に見えてこないことだろう。福島県民はすべからく放射能公害の被害者であるのに無色無味無臭の毒物は深く潜行して現れにくい。そのため被害者が被害者であることを認識しにくいことである。

水俣病が発生し、魚介類に原因があることが推定でき、工場廃水が第一義的に犯人である可能性が高いと言うことが判明した時点で魚介類の販売禁止措置をとっていれば被害の拡大は防げた。だが、漁業補償、流通関係への補償を惜しんで、そうした法的措置をとらなかった。あまつさえ、清浦雷作東工大教授のように、工場廃水説を否定して漁師が傷んだ魚を食べたというと言うような専門家が登場して漁師たちはさらに追い込まれた。貧困に苦しむ娘たちをさらに苦界に落とし込む女衒のような学者という意味で私は女衒学者と呼んだ。世間の目をくらます術に長けていると言うことで眩学者とも呼ぶ。昔から宮内庁御用達の黒豆とか、御殿医などといってある程度の力量とステータスのあるものたちに使われていた御用を使うなんてもったいないではないか。御殿医なんて失敗したら首を切られるほど責任の重い存在であったのですよ。

中央、地方の官僚たちの対応も全く変わらない。当時、厚生省がなにをおいてもやらなければならなかったことは、不知火海沿岸の20万人の疫学調査であった。迅速に実態を把握していれば、ここまでずるずると患者を放置してくることはなかったであろう。(信託を付すに値すると思うから税金を負託する政府という組織を構成しているのであるが、全く、無意味であるなら政府を置いておく意味は無いだろう。それぞれの地域で自治政府を再構成していこうという動きは早晩始まってくるだろう。)

企業の責任を行政が肩代わりして問題をそらす構造も同じである。東京電力は、万が一の事故が起これば制御不能な毒物を放出する危険な設備を使用して利益を上げ、万が一の事故を起こして、福島県を中心に回復不可能な放射能汚染を起こした。得た利をすべて差し出すのが筋を通すことだろうし、企業という法人格を得ている社会的責任を果たすことだろう。

しかし、最近は利潤につながる権利ばかり主張して、社会的責任を果たさない企業が多くなった。米倉率いる経団連が典型であろう。社会的責任を果たさない企業からは法人格を剥奪して優遇制度を使えなくする必要がある。人を殺めれば刑を受けて獄につながれなければならない。公害問題でも人殺める企業は獄につながれなければならない。法人としての存在が継続すること自体が人の道に反するのでないだろうか。

水俣病関係文献は多数有るが

  「苦界浄土 わが水俣病」 石牟礼道子 は 図書館で見つけ出してでも読んでほしい。